2018年11月6日火曜日
残り物に福
ガラスケースや桐箱の中で大事に保管することもいいが、茶碗(陶磁器)は使ってナンボ。
適当に「汚れ」がつくと、通人は「いい景色だ」なんて珍重する。
もっとも、白磁器は純白以外は美と言わないから論外・・・・だから蝸牛庵は使わない。
洗うの大変だしねえ。
高価な茶器をふだん使いにするってなかなか良いものです。
藁の苫屋に千金の名馬をつなぐようなものです。
利休の時代だって、大名物とか言って一国や一城の値打ちって言いながらも、ふだん使いだった。
倭の国宝といわれる茶器は、10個に足りない(大事に収納していなかったから壊れちゃった)
油滴とか窯変って言われる中国産の天目茶碗が数個(世界的に数がない)
井戸茶碗と言われる朝鮮茶器が一個
純国産の志野焼と白楽茶碗がそれぞれ一個(白楽は唯一作者が判明している・・から国宝認定なんだ)
倭人は自分でろくな茶碗が作れないとか
駄犬の餌入れをありがたがるとか
黒茶碗のような禍々しいものを珍重するだとか・・悪口雑言が聞こえて来てもおかしくないのですが
不思議と聞き及ばない。
もっとも、これが国の宝だって言ってるのは倭人だけですがね。
文化同様に美意識も優劣はなく差異があるだけですし、高度な精神性を背景とする茶の心を支える道具
万人がああそうですかって単純にわかるものでもないし、分かってたまるか(笑)
美とは創造される事は言うに及ばずですが「発見」もまたそうなのです。
その辺の農家の日常雑器に美を発見したヒトザルがいた。
井戸茶碗は、惚れ込み、質朴、簡素、侘寂な精神性に感じいれば、実に素晴らしい。
黒の天目や楽も茶碗のそこを覗き込めば、宇宙が見える。
黒楽ならば、ブラックホールだし、窯変天目ならば、そこに銀漢が見える。
黒楽は、重要文化財レベルのジャンルの茶碗です。
茶碗として面白いとか品位がどうとかってものでもない。
千家御用という立場が重みをもたせているだけだろうし、それらしい逸話があり、大仰な銘が
ついて珍重される。
楽焼元祖の長次郎作だって、写しでよければ数万円で通販でもゴロゴロ出回っています。
しかし、品位の差異は如何とも....
銘 俊寛(長次郎作の黒茶碗。命名は利休らしい)
どうしてそんな銘を利休がつけたかって逸話が今日のお題。
俊寛は、クーデターを企てたものの失敗。
二人の同志と鬼界ヶ島に遠島を命じられた。
遠島は基本的に期限不定とされ、三人は片寄あい心細く日々を送るのですが、そこに赦免船がやってきた。
ところが俊寛だけは首謀者で罪状が重いということで置いてきぼりって悲劇。
実話かどうかがつまびらかにしませんが、平家物語の有名なエピソードだし、能の名曲でもある。
菊池寛が多少脚色した短編を書いてますが、
島娘と相思相愛、子供も生まれ、農漁兼営で・・・まるで家族ロビンソンクルーソーです。
この利休の逸話は話の筋がよく見えないのですが、利休の門人が黒楽を所望し、3個候補作品を見せたところ
二個は持ち帰ったが、一個は取り残され、哀れに思い俊寛と命名した・・・ということだと思われます。
日本橋の三井さんの美術館に飾ってますが・・・有名な割に重要美術品程度だってことです(クラスとしては重文のさらに下)
要は利休の目利きにもかかわらず出来栄えを感心せずに返されたってことですから。
でも、お嫁いりした二つの茶碗はどうなったのでしょうか?
そっちも気になります。
幸せに嫁いだその先がどうなったかよくわからず、売れ残りが現代にまで残り未だにもてはやされるって・・・万事塞翁が馬ですねえ
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