2018年12月8日土曜日

比較対比検証評価



大東亜戦争 開戦の詔勅 (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書

天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス
朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ
朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ億兆一心国家ノ総力ヲ挙ケテ
征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ

抑々東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ丕顕ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ
豈朕カ志ナラムヤ

中華民国政府曩ニ帝国ノ真意ヲ解セス
濫ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ攪乱シ遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有余ヲ経タリ
幸ニ国民政府更新スルアリ帝国ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提携スルニ至レルモ
重慶ニ残存スル政権ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス
米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス
剰ヘ与国ヲ誘ヒ帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ
更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ
遂ニ経済断交ヲ敢テシ帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ
朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ
隠忍久シキニ弥リタルモ彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ
此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス

斯ノ如クニシテ推移セムカ東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝国ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ
事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ
祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス

御名御璽
昭和十六年十二月八日


日露戦争開戦詔書

天佑ヲ保有シ、万世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本国皇帝ハ、忠実勇武ナル汝有衆ニ示ス。
朕茲ニ露国ニ対シテ戦ヲ宣ス
朕カ陸海軍ハ、宜ク全力ヲ極メテ露国ト交戦ノ事ニ従フヘク、朕カ百僚有司ハ宜ク各々其ノ職務ニ率ヒ、其ノ権能ニ応シテ国家ノ目的ヲ達スルニ努力スヘシ。
凡ソ国際条規ノ範囲ニ於テ、一切ノ手段ヲ尽シ、遺算ナカラムコトヲ期セヨ。

惟フニ文明ヲ平和ニ求メ、列国ト友誼ヲ篤クシテ、以テ東洋ノ治安ヲ永遠ニ維持シ、各国ノ権利利益ヲ損傷セスシテ、永ク帝国ノ安全ヲ将来ニ保障スヘキ事態ヲ確立スルハ、朕、夙ニ以テ国交ノ要義ト為シ、旦暮敢テ違ハサラムコトヲ期ス。
朕カ有司モ亦能ク朕カ意ヲ体シテ事ニ従ヒ列国トノ関係年ヲ逐フテ益々親厚ニ赴クヲ見ル。
今、不幸ニシテ露国ト釁端ヲ開クニ至ル、豈朕カ志ナラムヤ。

帝国ノ重ヲ韓国ノ保全ニ置クヤ、一日ノ故ニ非ス、
是レ両国累世ノ関係ニ因ルノミナラス、韓国ノ存亡ハ帝国安危ノ繋ル所タレハナリ。
然ルニ露国ハ、其ノ清国トノ盟約及列国ニ対スル累次ノ宣言ニ拘ハラス依然満洲ニ占拠シ、
益々其ノ地歩ヲ鞏固ニシテ、終ニ之ヲ併呑セムトス。
若シ満洲ニシテ露国ノ領有ニ帰セン乎、韓国ノ保全ハ支持スルニ由ナク、極東ノ平和亦素ヨリ望ムヘカラス。
故ニ朕ハ此ノ機ニ際シ、切ニ妥協ニ由テ時局ヲ解決シ、以テ平和ヲ恆久ニ維持セムコトヲ期シ、
有司ヲシテ露国ニ提議シ、半歳ノ久シキニ亙リテ屡次折衝ヲ重ネセシメタルモ、
露国ハ一モ交譲ノ精神ヲ以テ之ヲ迎ヘス、
曠日彌久徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメ、陽ニ平和ヲ唱道シ、陰ニ海陸ノ軍備ヲ増大シ、
以テ我ヲ屈従セシメムトス。
凡ソ露国カ始ヨリ平和ヲ好愛スルノ誠意ナルモノ毫モ認ムルニ由ナシ。
露国ハス既ニ帝国ノ提議ヲ容レス、韓国ノ安全ハ方ニ危急ニ瀕シ、帝国ノ国利ハ将ニ侵迫セラレムトス。

事既ニ茲ニ至ル、帝国カ平和ノ交渉ニ依リ求メムトシタル将来ノ保障ハ、今日之ヲ旗鼓ノ間ニ求ムルノ外ナシ。朕ハ汝有衆ノ忠実勇武ナルニ倚頼シ、速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ、以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス。

御名御璽
明治三十七年ニ月十日


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詔勅とは、国家の作成する公文書のなかでも、貫目の重さは類を見ない。
なんちゃって、国家意思を御名御璽でそれは担保されます。
国家にとって一番重いのはやはり「戦争」でしょう。
ということで、二つの開戦の詔勅を並べました。

趣旨は同じようなものなのですが、よく読めば「違い」が見えてきます。
文明的でありたい明治の精神と歪み切った戦前昭和の精神の違いでしょうか?


第一段落は、開戦宣言でして、文意はほぼ同じです。
しかし、大東亜のほうは、衆庶ー国民一人一人にまで、決意を要求し、総力戦の極致であることを示します。全員が戦闘員だというのですから、無差別空襲非難もちょっと分が悪い。更に言えば、日露の国際法規の範囲という言葉が消えています。ルールを守って戦うつもりはない・・・と言わんばかり。これは宜しくない。


第二段落は、不本意ながら戦争を行わざるを得ない・・・という天皇の意思はおなじ。好き好んで戦争を行うのは狂信的な右翼と軍人だけですので、単なる形容詞ともよめます。大東亜のほうは、多少大アジア主義的な夜郎自大な雰囲気があり、気に入りません。


第三段落は、開戦に至るまでの歴史認識の記述です。認識は様々ですが、当時の日本国の立場はこうだということである。
大東亜は、売られた喧嘩は買うしかないじゃないか!って読めます。
ある種の自衛戦争だと言いたげですし、間違いでもない。しかし、歴史を遡れば、亜細亜の盟主は日本であり、周辺国はそれにひれ伏すことが東洋平和の基という立場を由としない中国を膺懲したことも遠因であり、そうなれば、どっちこっちもない。やっぱりこういう態度は王道ではなく覇道なのです。
他方、日露は、韓国の存亡は、国家存亡の要であり、防衛戦争そのものというシンプルな論旨。歴史評価を現代の基準で評価すれば、いろんな物言いもできるが、それは正しくない。あの時代の置かれた立場からすれば、そう判断するのが理性的で論理的というものである。


最後の段落。ことここにいたっては、戦うしかない・・・という文意は同じですが、大東亜の方は、相当に表現がファナティック(笑)

時代が現れています。
弱い狗ほどよく吠える
自分の言葉に酔うとろくなことはない。












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