上昌広氏のコラムを一部割愛して掲載します。
なにかと毀誉褒貶の激しい方ですので、
5W1Hのうち、WHYとHOWに相当しそうな原文の部分は「.....」としました。
この辺りは読み手が評価判断すべき箇所だとおもいます。
カッコ内はアタシの補記です。
なお、氏は、灘から東大医学部だそうです。
メディアに登場する際はNPO法人の代表の肩書きですが、医療系企業の社外取締役とか色々な顔をお持ちのようです。
厚労省の前身である厚生省ができたのは、昭和13年だ。陸軍省の要請に応じ、内務省より独立する。その際の筆頭局は体力局だ。昭和15年には国民体力法を制定し、健民健兵政策を推進した。.....ちなみに、コロナ対応で最前線に立った保健所ができるのは昭和12年だ。内務省が都道府県に一つずつ設置し、昭和19年には700に急増する。......
戦後、帝国陸海軍が消滅し、146の旧陸海軍病院と53の傷痍軍人療養所を厚生省が引き継いだ。前出のNHO(国立病院機構)は旧陸海軍病院、NCGM(国立国際医療研究センター)は東京第一陸軍病院の後継機関だ。
戦前、帝国陸海軍が重視したのは、ワクチン開発だ。彼らは伝染病研究所(伝研)と連携した。伝研は明治25年に北里柴三郎が設立した民間の研究機関で、その後、内務省に移管される。.....我が国の感染症研究はもちろん、ワクチンの製造、検定、供給を一手に担った。最大の納入先が帝国陸海軍だった。
戦後、連合国最高司令官総司令部(GHQ)は、伝研を解体する。その系譜が、感染研と東京大学医科学研究所(東大医科研)だ。復員した関東軍防疫給水部(731部隊)の関係者は、このような施設に職を得る。.......
陸軍大臣の提唱というのは事実のようです。
従順で頑健な兵隊無くして軍隊は成り立たないが当時の栄養事情や疾病の蔓延からすれば、軍中枢の危機感なり悲鳴は想像できます。
中央官庁が出来ても出先で汗かく組織がないと政策は回らない。保健所の数のピークは90年台の八百余りですが、戦前に既に七百、人口比にすればもの凄いって、、、、
戦争における兵士の損耗は悲しいかな、倭国では、伝染病とか風土病による病死と飢餓が、戦闘死よりも多かった。
となれば、治療医学よりも予防医学という事になりそうです。だからワクチン開発を重視したこともそうなんだろう。
そこから、防御と攻撃は表裏一体。
攻撃こそ最大の防御と考えるって事になるんだろうなあ。731の悪行の如何はさまざまに言われるが、アタシにはよく分からないが、まあ表裏一体ですから一概に非難も否定も難しい。
歴史は歴史として、、、その総括の上を乗り越えてくれれば良いのですが、いまは如何なるものなんでしょうねえ。
氏は軍特有の隠蔽体質やら防疫に力を置きすぎとか言っておられますが、アタシにはなんとも、、、
ワクチン開発重視だけはどうやら継承していないことも確からしい。昔はワクチン接種禍による大規模訴訟なんかなかったからねえ。いまやそんな危ないものの開発に経営資源は投入出来ない。
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