論理的とは言い難い名題です
夏井いつきさんの季語辞典を眺めるに、、、ご賢察の通り「玄帝」とは冬の副題(異名)
今にも絶滅しそうかどうかは....多少オブジェクション。
玄帝があるならば、
青帝(赤江瀑の作品に「青帝の鉾」があった)
朱帝(、、ではなく、なぜか赤帝という)
白帝(李白の詩にも登場します)、、、だって
ちゃんと季語かどうかは別にしても季節の異名としてレジストされていますし、それぞれの季節に色を重ねるのは一般教養としてまだまだ命脈を保つだろうって確信がある。
しかし、俳句の世界やらに漢文臭はあまり似つかわしくはないから、その限りでは使われなくなる可能性は高いし、今もろくに使われてはいない模様。
毎度の長い長いマクラがおわり......
玄は「黒」を意味し、なかなか奥深い意味があるとされます。
さて中華の雑書をパラパラみていて、みつけた成句
近墨必玄 近朱必赤
明らかな対句であり「赤」には良からぬ意味があるとされますから、後段の「朱に交われば赤くなる」とは
誰もが知る(常識以前な)ことわざになっている。
しからば、墨に交われば黒くなる、、とは良い意味に違いない。
以前にも「黒」なる色の意味合いをネガティブにしか理解しない知的レベルを糾弾したが...
その一部を再説すれば、
白帯よりも黒帯
素人よりも玄人
しかしながら、近墨必玄(原典は「緇」で訓読みではくろ)は、、浅学非才だもん知る訳がない。
むしろ、社会通念的に使われる事がなかった理由なりを知りたいが、、、まったく分からない。
補足
三世紀の頃、晋の時代の詩人傅玄(ふげん)の詩集である「太子小傅箴」が原典である事をやっと突き止めました!
彼は相当に有能剛直なキャリア官僚(倭国ならば総理秘書官兼補佐官かな?)だったようです。
キツい性格が災いし、晩年には諭旨退職となった
0 件のコメント:
コメントを投稿