言葉の定義にうるさいアタシ(^^)
ちょっと最初の問題提起について補足が必要かな?と思い出した。
曰く、、、反知性主義と反・知性主義とは別物だ!という仮説
まず「知性」とはなんなんだ?
つまり「知能」と何が違うのか?
面倒な言葉遊びだが、誰もが頭の中では理解しているが、巧く言葉にならないだけなんですよ。
でも、アタシは実証的に証明ができます(^^)
誰もが知能犯という言葉を使うだろうが「知性犯」とは絶対に言わないはずだ。
規範を逸脱するような存在は、仮に知能があることがあっても知性を持ち合わせる事はあり得ないことだと暗黙知的にヒトザルは認識しているという事です。
多少の誤差を許容すれば、仏教でいう「智慧と知識」みたいなものかなあ
知能とは、知識を蓄積内蔵してそれを演算(理解なり分析)する能力だが、知性はその先の「内省」する人格なり自我の存在を意味する....ことだと仮置きしてみよう。
AIには知能はあるみたいだが、知性はどうかなあ
倫理性が欠如した知識の活用にオブジェクションの声を上げる事には合理性があるが、内省する自我を否定する事の正当性なんかは想像すらできない。
反知性主義の原語は Anti Intellectualism だが、
Intellectualism とは、意思や感情よりも理性の働きを重視することだというのか哲学辞典的な説明(主知主義と訳されます)
無論、意思や感情も大事だ、主知よりもより大事だって主張も成り立ちます。
とりわけプリミティブな宗教において....
0 件のコメント:
コメントを投稿