2021年11月4日木曜日

精神鑑定

 




かような判決が出るたびに、刑法39条問題をネット市民が騒ぎ立てるが、心神喪失等を罰しないのは古代法以来の原則的考え方である。

少なくともローマ法はそうだし、養老律令にもその規定があるから中国法もそうだろう。

イスラム法は、、、よく知りません。


刑事的な責任能力がない、理非弁識能力がないということは、刑罰の本質が応報でも教育でも処罰することが無意味だという事。つまりなぜ罰せられるか理解出来ないヒトザルを罰する意味がない。

これに反論するには、刑罰の本質は「復讐、、血の報復」だと言う立場に立つしかないが、今時は共感を呼ぶ考え方ではない。

かくなる上は、心身喪失や耗弱の概念規定を改めるしかない。かつては「瘖唖者」は刑事責任能力がないとされていたのだから
がしかし、精神鑑定って科学的だとは誰も思わない。科学ならば、複数人の鑑定結果が同じベクトルを示すはずだ。アメリカンなみに金を積まれて依頼人に都合のいい鑑定結果を出しているはずだ....と疑いたくもなる。

プロは、学問としてまだまだ未熟な分野だと....

だから「参考意見」として聴いておこうというのが裁判所の立場。

でも、自由心証主義とはいえ、プロの意見を蹴飛ばすのはかなり勇気が要ります。

でも、鑑定をやらないって、これは訴訟指揮としと指弾されるでしょう。



To be continued 

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