マクラ代わりに「六百番歌合」の事をさわりだけを書きます。
源平争乱が終わった1192年、こころ翳る超貴公子たる藤原良経は、、、
イイウタツクロウ六百番
って事で壮大な企画をぶちあげた。
歌壇の保守派、六条藤家から六人。革新派の御子左家やその一派からの五名に自身を加えた12名の歌人がそれぞれ百首を詠進。歌題は四季が五十首、こい歌が五十首。恋歌にはそれぞれサブタイトルがある。
合計千二百首を、、誰がどういう基準で対戦相手としたのか調べ切れてませんが、レフェリー(判者)を俊成が務め勝敗を決めた。
歌人毎の勝率は、、、これから調べます(^^)
まあ「歌題」って、四季と恋の移ろい(虚ろい)に如くはない、、、ってことは、演歌の世界でも
本題はここから、、、
恋ひ侘びて
ながむる空の浮雲や わが下燃えのけむり
なるらむ(金葉集 周防内侍)
下燃えに
思ひ消えなむ 煙だに
跡なき雲の 果てぞ悲しき(新古今 俊成女)
どちらも「下燃えの恋」
人知れず恋焦がれるが、果ては焦がれ死の証しである煙となりさらに雲にって、ある意味で不幸で不吉な歌です。
仮に歌合をすれば、、、判者泣かせだわ(^^)
時代の違いもあるが、周防内侍の方が素直に直線的。
俊成女は、忍び侘びる恋の証しである煙の跡すら、、、って嘆く屈曲感
同じように雲を眺めても、思うところはおなじようでも、かなり違う。
判定は持(引き分け)かな?
二人の時代は約百年隔たります。
歌人としての力量は俊成女の方が上ですが、百人一首の選外の為、周防内侍の方が知名度が高い。
どちらも「下燃えの◯◯」の雅称を有しますが、、、雅称として祭り上げられるような表現を本歌取りで使い、同じような雅称で呼ばれるって如何なものかしら
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