2022年10月14日金曜日

恋歌二題

 


マクラ代わりに「六百番歌合」の事をさわりだけを書きます。

源平争乱が終わった1192年、こころ翳る超貴公子たる藤原良経は、、、

イイウタツクロウ六百番

って事で壮大な企画をぶちあげた。
歌壇の保守派、六条藤家から六人。革新派の御子左家やその一派からの五名に自身を加えた12名の歌人がそれぞれ百首を詠進。歌題は四季が五十首、こい歌が五十首。恋歌にはそれぞれサブタイトルがある。

合計千二百首を、、誰がどういう基準で対戦相手としたのか調べ切れてませんが、レフェリー(判者)を俊成が務め勝敗を決めた。

歌人毎の勝率は、、、これから調べます(^^)


まあ「歌題」って、四季と恋の移ろい(虚ろい)に如くはない、、、ってことは、演歌の世界でも



本題はここから、、、



恋ひ侘びて

ながむる空の浮雲や わが下燃えのけむり

なるらむ(金葉集 周防内侍)


下燃えに

思ひ消えなむ 煙だに

跡なき雲の 果てぞ悲しき(新古今 俊成女)



どちらも「下燃えの恋」

人知れず恋焦がれるが、果ては焦がれ死の証しである煙となりさらに雲にって、ある意味で不幸で不吉な歌です。

仮に歌合をすれば、、、判者泣かせだわ(^^)

時代の違いもあるが、周防内侍の方が素直に直線的。

俊成女は、忍び侘びる恋の証しである煙の跡すら、、、って嘆く屈曲感

同じように雲を眺めても、思うところはおなじようでも、かなり違う。

判定は持(引き分け)かな?



二人の時代は約百年隔たります。

歌人としての力量は俊成女の方が上ですが、百人一首の選外の為、周防内侍の方が知名度が高い。

どちらも「下燃えの◯◯」の雅称を有しますが、、、雅称として祭り上げられるような表現を本歌取りで使い、同じような雅称で呼ばれるって如何なものかしら






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