2022年10月2日日曜日

英国史(2)

 英国の王朝を逆引で考えると....



今はウィンザー王朝
先代の女王様の継承者はチャールズ三世です。

女系であっても王朝は変わらないのか、、、
ビクトリア女王崩御の後、王位を継承したエドワード七世が女王の王配アルバートの実家であるサクスコバーグゴーダ王朝の初代となる。

いまどき的には王朝交替だということになるが、女系だからといって必ずしも王朝交替とは限らないらしいし、なんか複雑なルールがあるのかなあ


エドワード七世の継承者が、ジョージ五世

時に第一次世界大戦で、国民感情に鑑み、居城の名を取りドイツ風からウィンザー王朝に改名.....単なる改名であって王朝交替ではないはずだが、、、教科書的には王朝交替だと書いています....ようわからん


ビクトリア女王はハノーヴァー王朝だが、、、この話は後回しにして、倭国のはなし



明治憲法下の倭国古代史なんて神学であっても学問じゃない。その頸城から解放された時、、、別に唯物史観に洗脳されたわけではないが、戦後國史學の最大の功績は、神代王朝交替説

有り体に言えば、神代史と古代史の分水嶺は、武烈帝から継体帝、、、そして欽明帝(正確には歴史時代はここから始まる)

そして、神代史は捏造の欠史7代と(学者により多少は違うのですが)

崇神王朝

仁徳王朝

継体王朝、、、と王朝交替があったということ。


根拠は、、、アームチェアディテクティブらしく推論によるだけ。古墳から演繹される本拠地、和風名称からくる血族の推定、神話の記述からの推論からしてそう判断することに合理性があるとされる。



まあ、王朝とはなにか?従って王朝交替とはなにか?ってことになります。

仁徳王朝の最後は暴君武烈帝。

越前からやって来た応神帝五世を標榜する継体帝ですが、誰が考えても出自は危うい。

案の定飛鳥への御国入りはもたつくは、後継者の宣化、安閑はなんだか揉めまくるし....結局は武烈帝の妹(姉)と継体帝との間の欽明帝でやっと収まりがついたということ。要するに、女系の天皇が今の天皇家系の濫觴なわけで、仁徳王朝の再登板ともいえます。


英国史に比定すれば、

スチュアート王朝のチャールズ一世が清教徒革命で刑死。一度は共和国となるが亡命していたチャールズ二世が王位に復帰したようなはなし


その後は、男系でバトンタッチしてきた事を否定はしないが、神武帝以来男系の万世一系なんて虚構だと考えるのが史学会の常識(無論頑迷固陋な国体明徴派もおられます)


だからといって、欽明帝以降は多分男系による万世一系ですから、天皇の家系の価値は毀損しないってあれほど言っているのだが、、、


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