其々に高名な「歌合」の比較対比をやってみる(前者が六百番)
開始時期 1192年 1201年
主催者 藤原良経 後鳥羽院
歌数 1200首 3000首
構成 四季と恋 四季、恋、祝、雑
詠進者 12名 30名(氏名は後述)
判者 俊成一人 10名で分担(判なしも)
新古今収録数 34首 90首
注記 詠進者一覧
女房とは仮名で主催者(後鳥羽院)を意味します。
三宮は惟明親王、内大臣は源通親、前権僧正は慈圓
スケールが大きいから素晴らしいとは限らない。
院の腕力で当代屈指の歌人を総動員したんでしょうから圧巻だとは思います。
新古今に採用された和歌の数も多少ですが上回りますし、コレはという女流歌人も総動員したダイバーシティな世界、、式子内親王の名がありませんが、この年に薨去は無念の極み
六百番歌合は俊成の美學で判定がなされており、保守派には許し難いものがあったらしい。憤懣のあまり六条藤家の顕昭は六百番陳状(反論書)で反駁するに至る。
王朝詩歌でのスーパーボウルみたいなもので、、、頂上対決は御子左歌学の勝利となり、冷泉家をもって今に至る。
六条藤家はその後家系断絶しお終い。
教養として読むならば、六百番に若かず。
量の多いのはよむのに疲れますし、、、
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