2021年5月9日日曜日

明月記、再び

 




原文は当時の公用語たる漢文
真面目に原典にあたるのは専門家に限られるし、倭人の漢文くらい読めなくはないが、時間が惜しい。
なもんで、堀田善衛さんの「私抄」を...正篇は精読、続編は斜め読み。
近親憎悪めいた後鳥羽院との縁が切れた後の定家の行状はある種の抜け殻だから、それで充分。

この私抄では、承久の「乱」と表記していますが、なんとも....
アタシの読み漁った多くの歴史解説書では「変」だったと記憶。しかし、普通の歴史用語の使い方からすれば、、、謀反なり上意討ちなりを行った場合(前提として主従関係)
成功すれば、変
失敗すれば、乱
ですから、承久の乱の方が正しいが、皇国史観的立場の書籍は「変」を頑固に使っているらしい。

世の中、成功すれば上司の手柄、失敗すれば部下の責任...はままある事。
上に立つ者は「責任を痛感しても責任はとらない」
今に始まった事でもなく、その最たるものが後鳥羽なんだから、昨今のあの程度はまだ大人しい。
承久の乱の発端に定説はあるようなないような、、

東スポ的に解説をすれば

キャバ嬢だかAV女優上がりの愛人(伊賀局)に貢いだ収益物件が鎌倉御家人に簒奪され、そのボスの北条義時に懲戒を命じたが、逆に武装した軍団が京に押し寄せ威嚇行為(まるでどっかの超大国と同じ)
逆上した後鳥羽はロクな準備もしないまま義時討伐の宣旨を出したが、鎧袖一触に惨敗。

狼狽したんでしょうなあ、義時討伐の宣旨はなかったことにして、反乱に加担(協力)した貴族や武士を賊扱いする声明を出す。

貴種とはかくも身勝手なもの。

アホらしくてやってられないわ。


この時、定家は、野外柳のお題の詠進和歌が後鳥羽院の逆鱗に触れ、懲戒免職にはならなかったが出勤停止の沙汰。

この当時は貴族という宮廷官僚もロクに俸禄はもらえなかったから、特段懐は痛まない。

有り余る余暇を王朝古典の写本作りに精を出し...後世の我々はその恩恵に預かっています。


その後、後鳥羽院に疎まれたことから鎌倉親派として長寿を全うしました。

0 件のコメント:

コメントを投稿