2021年5月22日土曜日

つゆ

 


なんとも毎日がどんよりして湿気は高いし...気が滅入るが、コレも四季折々の風物

しかし「梅」の実の青く色づく頃の「雨」は倭の美的感覚だが、黴の雨といわれると...あまりにもリアリズムがすぎて興醒めます。
五月雨なる言葉は太陰暦的なんだが、今年はGW明け即ち梅雨入り。
六月の異称でもある水無月は逆説的表現だった筈だが、今後はそうで無くなるかも....





清唱千首(塚本邦雄撰)を無聊のままひもとく
梅雨の和歌って...なんかあったかなあ?

万葉集から八代集を総ざらえするの面倒だから、

お手軽に....

結論は、なし!

つゆが使われる和歌は「露」だけ

この時代には「梅雨」なる言葉は使われず「五月雨」の方が一般的だったのかな?

異説に曰く...梅雨はその季節を表し、雨ならば五月雨、あるいは長雨(ながめ)、、、ホンマかなあ?





王朝和歌集の夏の部の風景は貧相だ。

大抵は歌数も少ない。

不如帰に始まり、卯ノ花、橘、杜若(菖蒲)

夕顔、撫子、常夏の花...まるで源氏の世界


で、、この和歌集で「さみだれ」なる語句が登場するのはたった三首。


さみだれの月のほのかにみゆる夜は

ほととぎすだにさやかにを鳴け(躬恒)


→  単に遠景であり不如帰が主役です。


五月雨に藻屑しがらむ籠り江や

雲水たかし初瀬川上(十市遠忠)


→  戦国武将ですがよく知りません。下の句に主眼があります。


さみだれに花橘のかをる夜は

月澄む秋もさもあらばあれ(崇徳院)


→  これも詞書にあるように花橘のうた


誰もが鬱陶しくて和歌にしようなんて思わないのですよ。

しかし、最後の崇徳院の歌はおもしろい。

春と秋の比定なんて常套の素材ですし、「ゆうべは秋となにおもいけん」みたいに逆説的に春をもち上げるのは、耽美的少数美學の定番

暗い運命な崇徳院さまは、いささかやげやり...あと野となれ山となれ...(さもあらばあれ)とはお言葉がすぎませんか?

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