倭の詩歌の歴史に於いて...進撃する巨人といえば、
人麻呂
貫之
定家
後鳥羽院
良経......
思えば、詩人の運命とは悲惨なもの
人麻呂は刑死したとは梅原猛説(真偽はなんとも)
貫之は藤原一門からシカトされ不遇の生涯
後鳥羽院は身から出た錆とは言え流罪の憂き目
摂政良経は暗殺された可能性が高い
ひとり定家だけは後鳥羽院に盾突いた結果、親鎌倉派という事で本来ならあり得ない高位高録を食む事になり、血脈は冷泉家として今に残る。
が、定家の詩人としての光芒は不遇の時代の賜物。
鎌倉御家人に愛想を振りまくようになると...
歌はろくにつくらないし、詩歌集を編纂すれば愚作の山でしかない。
明月記は定家の長年書きためた日記。
非公開とは言え、血族の中では読み継がれてきたのだろうが愚痴やら苦労話(お金の苦労やら出世の遅れの嘆き)に付き合うのもかなわん。
あの二十歳の頃の「紅旗征戎我が事に非ず」だけが有名だが、単に若気の至りでしかない。
貴族の端くれとは言え、詩歌を専門とするノンキャリの技官みたいなものです。
最初はボス(後鳥羽院)の目に叶い多少寵愛されたものの歌人としての面目だけの事。
ひねこびた性格だから最後は疎まれる....
貴種...とりわけ院政期のミカド(正確には上皇)は我儘で放縦、鎌倉末期の婆娑羅が色褪せて見えるばかり
性の乱れとか乱倫とか、、まあ口に出すのも憚る有様だし、オトコが裏切って別のオトコに走ったとかオンナを部下に寝取られ上意討ち
こんな話があちこちに出てくるからまだ我慢して読んでられる。
当時の宮中には「侍寝職」なるお役目があったとか。
深くは説明しませんが読んで字の通り。
一体男女合わせて何人いたのかねえ(^.^)
一方で秀吉と真逆で、後鳥羽院は下賤なオンナが大好きだったみたいです。原文では「遊女舞女白拍子」と書いていますがどんな職業だかよくわかりません。今時なら、AV女優、キャバ嬢、デリヘル嬢にストリッパーみたいな?
明月記にはさすがにそこまでは書いていないが、
この手のオンナをかき集めて
卑しき身に御肩を並べ、御膝を組ませまして...
まるで春本まがいで赤面しそう(^.^)
ミカドの最重要な「国事行為」は口に出さずともアレなんですがね、、お相手が国母に相応しいとは言い難いとかオトコって事になると、それは「私事」行為
斯様な狂宴に夜な夜な付き合わされるのは、けだし凄まじきものは宮仕え...と定家は愚痴るのです。
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