2021年12月20日月曜日

消えた「一言」

 



⬛️大東亜戦争


天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス
朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ
朕カ「衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ億兆一心国家ノ総力ヲ挙ケテ」征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ.......


⬛️日露戦争


天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本国皇帝ハ忠実勇武ナル汝有衆ニ示ス。
朕茲ニ露国ニ対シテ戦ヲ宣ス
朕カ陸海軍ハ宜ク全力ヲ極メテ露国ト交戦ノ事ニ従フヘク朕カ百僚有司ハ宜ク各々其ノ職務ニ率ヒ其ノ権能ニ応シテ国家ノ目的ヲ達スルニ努力スヘシ。
凡ソ「国際条規ノ範囲ニ於テ」一切ノ手段ヲ尽シ遺算ナカラムコトヲ期セヨ......



1942年と1904年の開戦の詔勅(あるいは詔書)のそれぞれ冒頭の部分だけを並べてみました。

鉤括弧は比較するに重要な差異である事を示すためのもので原文にはありません。


わずかな差異とはいえ、論旨の展開や内容の形式が厳格に前例踏襲の中での変更とはただ事ではない。

衆庶(全ての国民のこと)はその本分を尽くし億兆一心国家の総力、、、が追加されたって凄い事ですが、先を急ぎます。

国際条規の範囲に於いて、という行動の縛りが消えたという事は、国際法を遵守しないというとんでもない宣言に他ならない。

わずか30年余りで何故にこんなに様変わりし、その様変わりがおかしいと考えなくなったのかしら?


日露戦争ではいじらしい程の遵法精神を発揮し、それはWW1でのドイツ軍捕虜の取扱にも現れ、武士道の精華と世界の賞賛を浴びたのだが、、、この辺りを分水嶺に欧米の潮流との齟齬が生じ出した。

なお独逸國との開戦の詔勅にも「国際法規の範囲」は明記されています。

以下細谷雄一氏の「戦後史の解放」を参考に、、



まず誤解されそうな鬼面人を驚かす物言いから(^^)

戦争はスポーツと同じで上流国民(貴族とか)のやる事であって国民が総力戦的に巻き込まれ惨禍の憂き目や塗炭の苦しみに喘ぐようなものになったのはWW1からのこと。

欧米(とりわけ欧州)の意識に大変革をもたらしたのだが、倭国だけは潮流の変化を実感する事なく、欧米はもがきながらも帝国主義からの脱却を図るが、遅れてきた19世紀的帝国主義者として「戦争はカネになる」ことを体感した倭国は、1920年代以降の国際政治がまるで理解できていなかったらしい




憲法第九条って特段画期的でもなく、1928年の不戦条約が原型(日本もスッタモンダの果て批准)だと言われます。さまざまな軍縮もまた然り。


しかし、諸国が須く理想的に行動する訳ではなく、軍備を縮小したが故に強権国家の跳梁を招いたこともまた事実。ワイマール憲法がナチスを跋扈させ、軍縮のおかげで防備の貧弱な英仏はドイツの侵攻に手も足も出なかった。

このあたりは、顕教と密教みたいな関係で、内心はともかく建前の議論....平和的な国際体制構築に腐心する欧米諸国に冷や水を浴びせたのが、1931年の満洲事変。錦州空爆(天才石原参謀発案の世界初の空からの無差別攻撃)やら大干侵犯以外何者でも無い朝鮮越境派兵を含めて一連の行為は国際法が認める自衛戦争とはとても言い難く、明らかな条約違反。

西洋を震撼させ、倭帝国の信頼は地に堕ちた、、、とまでの想像力は働かなかったらしい。

これが許されるならばなんだありって....ヒトラーやムッソリーニにお手本を享受したとも言われる。

つまり、ガラス細工みたいな1920年代の戦争のない国際協調体制をちゃぶ台返ししてしまったのが、倭帝国(脳細胞が筋肉だけで出来ている関東軍、ガバナンス力のない軍中枢と軟弱弱腰な中央政府、さらに戦争を煽った無節操な大メディア)だということになります。

その先に何が起きるかは、、既に見えつつあります。





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