ナチスヒトラーが政権基盤を確立した1933年。
その一年前にはナチスは第一党となり、さらにその一年前にベルリン五輪の開催が決定された。
しかし、ユダヤ人や反政府活動家への迫害は、欧米諸国の嫌悪感を醸成しボイコット運動に発展する勢い
ヒトラーは五輪を毛嫌いしていたらしいが「アーリアンの優秀性とナチス政権の誇示という格好のプロパガンダ」だと気づき総力を挙げてのめり込むに至った。
ナチスもさすがに国際世論を無視するわけにもいかず、反ユダヤキャンペーンの自粛、一部のユダヤ人選手の復帰....等々差別のない大会運営のポーズをつくり、一方で発言力のあるアメリカオリンピック委員会のブランデージ(反ユダヤ親ナチス的な差別主義者)は、、
スポーツに政治を持ち込むべきではない
大会は差別のない公平な運営が行われる
とかなんとか聞いたような文句だが、ボイコット運動に圧力をかけることに腐心し、開催に反対するIOC委員の追放にも加担....多分したはずだから、後釜に座れたし、最終的にIOC会長に上り詰めた。
このポストは欧州の貴族の指定席であり、欧州以外では彼だけが会長になれた。
ちなみに国際世論の目につくところではネコをかぶっていたナチスだが、32年には最初の強制収容所(ダッハウ)をすでに完成させています。
まさしく歴史はくりかえすのですよ。
北京五輪がどうなるかは判りませんが、そこで演じられるドラマやエピソードは同じようなもの。
ベルリン五輪の教訓からすれば「外交ボイコット」が適切効果的な方法かどうかには.......
おまけ
ベルリンと開催を争ったのがバルセロナ
そのバルセロナでベルリン五輪に抗議する人民オリンピックがほぼ同時期に開催が予定された。
参加国はベルリンには及ばないが参加予定選手ははるかに多かった。
ここからが陰謀論めくのですが、開催初日にスペイン動乱が勃発、、、開催は中止を余儀なくされた。
集まった選手の一部はそのまま国際義勇兵となったらしい
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