鎌倉時代末期から足利時代初頭ではなくて、三国志の時代と隋唐の狭間の頃の中華の歴史
倭国ならば、倭の五王から聖徳太子の時代にあらかた合致します。
五胡十六国の時代を経て南北朝に移るのですが、史家の筆力が乏しいのか政権交代が複雑すぎるのか時代の変遷がよく分からない。
蜀魏呉の三国が魏により束ねられ、魏国の代貸だった司馬懿が政権簒奪し晋国になる。
その後は政争やら混乱が続き、異民族乱立のなか華北は北魏が支配し、華南は司馬一族の末裔が宋国を立て南北朝時代となり、、、
混乱の背景はさまざま。
気候変動は民族、、とりわけ非定住の遊牧民の移動を促し、定住民は流民(今時ならば難民)となる。
華人とは違いガバナンスに長けていない蛮民はなにかと御家騒動を起こし...初めて知りましたが「子貴母死」なる非道な制度が横行したらしい。
外戚(母方の里が権力を壟断する中華の宿痾)の影響を排除するために新皇帝の母親は賜死する....
ナイーブな新皇帝は精神がおかしくなるし、凡愚ならば、、、晋国のある皇帝曰く、国中が飢餓に喘ぎ塗炭の苦しみとの臣下の報告に対して、、
「パンがないならお菓子を食べれば良いではないか」
アントワネットは斯様な事を口走ったわけではない。あれは革命派の流言蜚語。
しかし、こちらは正史にも明記されていますから、馬鹿をいただいた人民が哀れだわ
当時は政権交代(帝位継承)のルールが曖昧で、とりわけ遊牧民は年功序列よりも能力主義。
つまりは腕力勝負ですから、負けた方は怨念が残る。リベンジが怖いから敗者は根絶やし。
ならばとすぐさま牙を剥く。
よっぽどの力量が無い限り安定政権は作れない。
そんなこんなの二百年余り。話題には事欠かない(^^)
To be continued
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