2021年12月13日月曜日

戦後五十年

 不思議な事に、国会決議には定足数が定められているにも関わらず「出席率の統計」がないらしい....なんとも信じ難い。



戦後50年の節目の年

まことに重要な国会決議がなされ、その後の内閣総理大臣談話となった。

しかしながら、かように異例不可解にして国際政治の微妙な「アート」を弁えず、現代に至る軋轢を産んだ、、、けだし「犯罪的ともいえる」文書はまず記憶がない





当時は自民と社会党の大連立

総理大臣、衆議院議長は社会党のバリバリの原理主義者であり、彼等(正確には彼と彼女)がこの決議採択を主導した事は明白である。


内容として歴史認識の誤謬があるとまでは言わない。

しかし過去の惨禍に対する痛烈な慚愧の念は憲法前文で国家の最高法規として明文化している以上さらに何が必要なのだ?

そっけないとアタマの下げ方がなっていないと言われ、下げすぎると具体的な誠意をみせろ(まるであの羽賀研二紛い)

それが今に至り、、、政治家はリアリストにしてマキャベリストでないと務まらないし、そうであることを公言してのはなおダメ。

お互いに納得ずくの曖昧さと言う智慧で凌いできたのよ。



この国会決議は参議院では上程すらされていません。まことに異例

通常九割以上が出席し、全会一致あるいは大多数の賛成のはずが、出席率はカツカツ五割。

新進党は欠席、共産党もしかり、、、、

賛成したのは総定数の半分以下


まるで意味をなさないし、むしろ国論の分裂を曝け出し、国際外交の疾患になる。近隣諸国もスルーはできないから、、、

先に書いたような、寝た子を起こすような対応になり今に至る。


理想主義と言うと言葉はきれい。

しかし、中学校の風紀委員には政治はできない。

だから、、、誰もこの史実は蒸し返さないの。たまに村山談話(内容はほぼ同じトーン)を話題する反日はいます。


歴史認識なんて、人それぞれ国いろいろ

それを一色に塗り固めるなんて所詮は無理。

そんな苦労を徒労という



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