2021年12月27日月曜日

天皇の藩屏

 



倭国の特権階級(ハイソ)といえば「華族」さま
その始まりは、いろんな見方ができますが、1884年の華族令の制定に始まり憲法改正によりひっそりと廃止された、、、たかだか六十年あまりの「天皇の藩屏」

当初は五百家余りだったが、最終的にはその倍の規模になった。爵位は五段階あり、公卿の家格や大名の石高を基準に当て嵌めるが、過去の勲功なんかも加味されたようである。

その後は勲功華族(官僚、学者、軍人等)がどんどん増えてきたが、所詮は下級華族ですから全体の八割が子爵や男爵であり、公候伯なんてとんでもない。


しかし、日清日露の時代はさておき、その後は何が勲功だか判らない軍人華族が増えてきて......妄想に過ぎないが、戦争がないと存在意義も無ければ偉くもなれない連中ですから、、、だから暴走したとまでは言わないが、太平洋戦争初期の連戦連勝を横目に「東條英機には伯爵くらいださんと収まらんかなあ」とかウワサではなんとかの井戸端会議があったらしい。


特権階級の存在を一概には否定し難いのが「ノブレスオブリージュ」の哲学。

衆庶以上の苦労と責務を背負うから特権を享受出来る、、、のですから華族とはいえ徴兵を免れる事は出来なかったが、配属等の忖度や東條英機に嫌われると苛烈な運命となったものまでさまざま。でも率先して軍人の学校に行こうとした例が帝のご意志に比べ少ないので、やはり平均的には無為徒食軟弱放蕩身分階級としか言いようがない。





無論、身を賭して帝を守った華族だっていた事はいたが、、、まあ限定的。

所詮は廃藩置県版籍奉還以降の過去の支配者階級の不満解消策であり「藩屏」云々は後付け。

華族の若者の育て方を間違えたんだろう。

英国貴族は、パプリックスクールの芝生の上で汗と血を流し鍛えられたというが、、、学習院はなあ....


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