近代日本に於ける最初の国葬は、岩倉具視、、、あるいはそれに先行した大久保利通の葬儀だと言われる。そして順次内容が整備されて大正15年の国葬令(法律ではなくて勅令)で完成を見た。
この勅令は戦後廃止され、第一条だけが改正皇室典範第二十五条に移行しました。
まず、天皇の葬儀(なお特例法で上皇を含みます)を大喪の礼と呼称し、それは国葬の一例です(大喪の礼と国葬は全く別と主張する向きもあるが、国葬令の中に明記されていますからそれは明らかな間違い)
国喪と国葬の使い分けはよく解りません。
そもそも「国喪」の読み方は「こくそう、こくも」のいずれなんだろうか?
スマホ辞書では「こくも」ですから、、、
意味的には、国民全体が喪に服するという、国葬よりも重いことなんだろうと思います。
ともあれ第二条の反対解釈からして、国喪の対象は、天皇、皇后、皇太后(更に天皇の祖母まで遡れます)に限定され、以外の明記された皇族は「国葬」となるようです。
それ以外の方を国葬としたい場合は天皇の勅命が必要となります。
つまり、国葬とは本来は天皇並びに皇族の為の葬礼であって、それ以外の臣下は国家に偉勲ある場合に限り天皇の意思で国葬の対象になし得る(皇室セレモニーのお裾分け)って建て付けだという事で、更に言えば「偉勲」とは文化人や科学者も含まれているはずだが(英国やフランスでは結構例があります)なんせ官尊民卑な倭国ですから、、、
理屈と膏薬の世界では何でもあり、、ですが、
天皇と上皇以外を国葬にする法的な根拠はない(明確に廃止されたから上皇の葬儀に関する特例法の条文が必要となった)
憲法第65条(行政権は内閣に属する)を根拠に国葬は行政行為の一例であり、内閣府設置法からして所管するのは内閣府だというのは理屈ではある。
しかし、多額の国費を投じる事や主権者の権利義務に抵触しかねるような事柄は法律の枠組みが必要であり、裁量のまま自由自在に行政府がやっていいことには絶対にならない。
以上は全て「正論」
しかし、世の中は正しいことよりも良いことの方が大事なことくらいはわかっている。
膏薬の世界で無理矢理でもやった方がよいならばやれば良いが、なんか良い事があるのかねえ?
それ以前に「国家に対する偉勲」があったのかね?
アタシの知る限りでは推進派の物言いだと得心するものは何もない。
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