2022年9月4日日曜日

唐土までの秋の寝覚

 



六百番歌合は、良経主催の「言葉...詩歌の格闘技」

肉弾相い撃ち筋肉の軋みが聞こえるのも凄いが、脳髄の火花散るには如かず。

当代屈指かどうかは知らないが、新進気鋭の若手も含めての歌合戦。歌門の名誉がかかっていますから、真剣勝負そのもの。
和歌の是非もあるが、批評の巧拙(要するに観戦解説の適切さ)や、的を得た判(審判の判定)やらの総合力で歌合の価値が決まる。

後鳥羽院主催の千五百番歌合が空前絶後と言われるが、規模感だけでランキングは出来ないと、、、浅学菲才ながら思うのです。




無関係の様に見える毎度の長いマクラです(^^)

判者の俊成は紫式部の歌才には非常に厳しかった。

物語としての源氏物語をあれだけ高く評価した割に、、、「源氏読まざる歌詠みは遺恨のこと」とまで言い切ったんですよ。

清少納言の和歌はひどいが、源氏物語収録の八百首弱の和歌(正確な数はネットにでてますが、自分で数えたわけではないだろうし)の出来栄えって、アタシは好きなんだけどなあ。

登場人物のキャラクターに応じた和歌です。

末摘花は下手くそに、朧月夜はコケティッシュに、六条御息所は優雅に、、、

しかしその後ろめたさかしら?

レディムラサキの娘さんである大弐三位には俊成は優しい(^^)



遥かなる唐土までも ゆくものは

秋の寝覚の

こころなりけり



俊成撰の千載集秋下部の軸頭歌(のはず)

勅撰集に選ばれるのもたいしたものだが、各巻のアタマとオシリはさらに名誉。

きっと後ろめたさからくる贖罪もあるんだ。

彼女ってさほどの歌人でもないから、それはそれは大したもの

百人一首には凡歌が採用されてますが、有馬稲子さんの芸名の由来程度のこと。



自然科学の世界ならば論文に引用される論文をどれだけ書いたかで学者のステイタスが決まるようにどれだけ本歌取りをされたかで和歌の評価が決まる。

結構な本歌取りのかずがある様ですが、、、あまり出来の良い和歌がない。元歌が良すぎるからかも?


寝苦しい夏の夜も終わり

熟睡した後の秋の朝の寝覚の気分は、、、

スッキリと遥かなる中華の地まで気持ちがぶっ飛んでゆくって爽快感.....なのかなあ?

なんか意味不明な屈曲感とも哀切の情とも、、もの悲しさを覚える複雑さがこの和歌のいのちかも




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