2022年9月1日木曜日

プライマフェイシー、、、一見それらしいが

 





アタシが使った事のない法律用語、、、というか使った用語の方が少ないから今の今まで知らなくても致し方ない。



意味するところは名題の通りなんですが、特段法学辞典的に正確な定義ではない。

つまりこの戯曲の作者や演者は「テミスの神は見た目は正義の味方ぶっているが実のところは弱者には厳しい」というニュアンスを込めているように思えます。

この辺りは経験則的にも、、、実体上と法廷上の真実は別物だし、法律は正義よりも賢者(知者)を愛する事は骨身に染みる程知っている。


一人芝居です。

演者は、ジョディカマー。

わすれかけていたが、最後の決闘裁判(興行としては不運としかいいようがない傑作)

この作品の演技は見事というしかなかった。ひとりの人妻を多面的に、、ある時は貞淑に、またある時はコケティッシュに、、、演じ分けた。



そんな彼女だから出来る一人芝居なんです。多くは複数の役柄を演じ分けるのですが、この芝居では、同僚から「合意なき性交渉」を余儀なくされた弁護士の法廷を舞台とする独白劇形式。

強制性交罪でやっとこさ起訴にはこぎつけたが、、、

ジンケンハ弁護士が異口同音に糾弾するこの手の裁判で起きるセカンドレイプまがいのこと。


まあ同じような手口で被告代理人として「被害者」を法廷で痛めつけてきたようですから自業自得めいた因果話だし、足を踏みつけた痛みは自分が踏んづけられて始めて解る.....まあ、なんとも政治的なアジテーション劇だわ、、、それも極めて説得力がある。


しかしなあ

in dubio pro reo(疑わしきは被告人の利益に)が刑事裁判の大原則。検察官が立証責任を負うのだが、被告が合理的な疑いを提示すれば、その時点で検察官の敗北。

そうは言っても密室のなかの目撃者のいない性犯罪。物証があればさておき、証言の非対称性を考えれば争えば被告が有利。

被害者の証言の曖昧な部分をほじくり出せば、、、幾らでも合理的な疑いは出てくる。

そこで、、、合意なき性交は全て強姦。合意の立証は被告側、、、ってとんでもないジンケンハの主張になる。

逆に冤罪のヤマをつくりそうだが、、、、


あちこちで映画評が出ているのかどうか知らないが、哀しくなるような入りですから、、、探すだけ無駄かな

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