どちらも和菓子としてはおなじようなものだし、秋から冬にかけての雨の雅称めいたところも似ている。
しかし、村雨は一時的に強く降るが、時雨はしとしと降ったり止んだり....という程度の違いはあります。
歌材としての好まれ方は、、、同じようなというより時雨の方が多いらしいが、寂蓮法師の「村雨の....霧たちのぼる」があまりに有名ですから、時雨の方が損をしている。
この世界も「記録よりも記憶」なんですよ
だからかなあ?
歌謡曲の世界は、ナンチャラ時雨なるタイトル乱発
村雨は、、、やっとさがしあてたのはこれだけ
多分カラオケにはないし、かりにあっても歌う気にはならない(し、無論歌えないもん)
とまあ長いマクラが終わり、、、私撰架空歌合
(右)
武蔵野や草の原越す
秋風の雲に露散る ゆくすえの空(俊成女)
(左)
雲まよひ木の葉かつ散り
秋風の音
うちしめるむらさめの空(下冷泉政為)
右の歌人は王朝女流歌人としては五本の指に入る(和泉式部、小野小町、式子内親王、永福門院、紫式部、、、やら)有名人だから特段の人物紹介はなし。
左は室町から戦国時代の下冷泉家の二代目歌人。王朝歌道を今に伝える冷泉家は、上冷泉家の方(時雨亭文庫を管理)
しかし、下冷泉家も歌力に遜色はなく、この和歌を収録する碧玉集の評価は高いそうです。
右は「時雨」と名指ししませんが「草の原」が草深い墓所の暗喩で有る事は源氏(花宴)からあの六百番歌合の歌論に至り周知のこと。それを踏まえて「雲に露散る」のですから、村雨の雨の降り方ではない。「ゆくすえのそら」と寂寥感も漂よい、広漠とした武蔵野の大地も目に浮かぶ。
左は強く吹きつける雨
まよひ
かつ散り
うちしめる.....と畳み掛けるようなリズムが心地よい村雨感。
静と動。遜色つけ難く、判者としては「持」、、、じゃあ普通の歌合。
極私的な駄日記なんだから、仮にアタシが勅撰集の編者ならば、下冷泉政為のこの和歌の五句めを
村時雨(むらしぐれ)のそら
と変えて収録するかも🤗
ちなみに、これは固有名詞で和泉あたりの和菓子屋さんの看板商品(実は最初の和菓子写真がそうです)
村雨も時雨も登録商標ですから、多少知恵を絞った商品名だということ
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