自然科学の世界では、新しい発見や発明や実用化により科学技術は発展するのが当たり前。
しかし歴史は果たして「進化や進歩」するもの、、あるいはしてきたのだろうか?
カー博士の講演録も第五講と段々に佳境に入ります。
貞観政要に曰く
古(いにしえ)を以って鑑とせば、以って興退(興替)を知るべし
有名な三鑑の教えですが「歴史に学べ」ということ。
発展するか衰退するかはそれで決まる。
ところが習得した特性(獲得形質)は遺伝しないのですから習得した知見の伝承は国民的な「不断の努力」無くしては有り得ない。これは大変な苦労ですから、、、冷ややかに「(自己の)経験からは学べても歴史からは学べない」と言う事になる。もっと冷ややかにいうと「何度も失敗を繰り返すのだから自分の経験からも学べない」という事かもしれないが
であれば、非科学的でしかない歴史という学問の意味とはなんなんだ?
非科学的であっても学問なんだから、学問全体の共通意識として「発展への崇拝」があるはずだ。
歴史から学び得る「可能性」があるかぎり、たとえ最後のカサンドラになっても歴史家は研究しその成果を世に問い続けるのですよ。
不都合な過去は思い出してもらいたくない勢力は必ずいますし、彼らは歴史事実を恣意的に選択する。
歴史は歴史家の主観(判断)の表れですから、悲観的な未来もあれば薔薇色の明日もある。えてして現在の雰囲気なりが判断に影響するが、時代のセンシティブが歴史的な事実を左右する事は好ましい事ではない。
過去への関心を失えば未来への関心もなくなる
そう考えれば「歴史」なる学問領域が健全である事で未来が担保される可能性がある。
参考までに、オーウェルが考えた悪夢の未来図
高校の必須科目から国史を除外したってそういう事なんです(もっとも悪は永続的繁栄はしない)
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