律令制の時代に中華の制度を参考に作られ、、、実は今でも官僚社会とかあちこちに生きながらているっておはなし。
官位とは、官職と位階のことで、肩書と身分(序列)を意味する。
以下わかりやすく、、、というか佐々淳行氏の奥様の思い出話的にいうと
同窓会ではあたしの旦那がいつまでも「万年課長」なもんだから肩身が狭かったけど説明するのも面倒だし...
位階が警部のころは所轄(警察署)の課長
そして警視になれば、警視庁の課長
警視正に昇格し、管区警察局主要課長
警視長ともなれば、警察庁の課長
たしかに、、見た目は万年課長だ(^^)
警視長の更に上は警視監という身分があり定員は38名。警察庁の主要課長に就任する例もまれにあるらしい。
本論はこれから。貴族社会の位階のこと
ザックリと言えば、
正一位から小初位下までの三十段階
一位から三位までは正と従の二段階に分かれ、
四位以下は更に正と従が上と下に区分される。
各々の位階に官位がリンクされ、
正一位だと太政大臣
従一位で左大臣、、、ということで
従五位下(上から14番目)が少納言
通常貴族と呼ばれるのはこれ以上の位階に限られる。
つまり、、、貴種として崇められるのです。
源氏の頭領の系譜は義家から起算すれば、みなさん従五位下以上。頼朝の父義朝は従四位下。
頼朝だって、後年には正二位まで上り詰めますが、流罪になった頃は従五位下。最下っ端とは言え貴族様。
流人なりともかつては貴族で源氏の頭領の後継者(三男ですが、上二人は平治の乱で死去)。以下の兄弟は無位無官。義経なる天才的指揮官であっても地下人に過ぎず、、、まあ社長と平社員くらいの開きがあるし、坂東エリアで貴族は頼朝一人しかいない。
この辺りがまったくわかっていないのも天才たる所以
だから勝手に後白河院から位階を貰ったりすれば、頼朝が激怒するのは当たり前。兄貴の範頼はのちに頼朝の推挙で従五位下三河守と、、、なんでも独断専行はよくなくてホウレンソウが保身のコツ。でも最後はクチがすべり謀反の疑いで失脚
ちなみに、国家あるいは公共に功績があった逝去者に対する叙位制度があります。
正一位から従八位までの16ランク
物故者に序列をつけるのか!と言いたいが、勲功に客観的な差異があれば、悪平等の方が宜しくない。
どういう基準か手続きかは知らないが、亡父も叙位されたらしく位記が送られてきた。
オークションサイトで高値がつきそうもないし、恭しく飾るまでのものでもなく、、、実家のどっかにあるんだろう。
世間的には位記専用額制作ビジネスがあるくらいだから、、、まあありがたいのだ。
しかし、叙位は天皇の国事行為だが、位記の名義は総理大臣名かあ、、、
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