なんとも格調の高い(と古典英語の達人はいいます)英語ですが、昨今は
in Search of Lost Time
というらしい。これの方が「失われた時を求めて」の英訳としては分かり易い。
だからといって、英語文化圏で読まれているかと言われれば.....
実は読んだと嘘をつく名著ランキング(英国版)にランクインしているくらいですから、推して知るべし。
フランス最高の権威あるゴンクール賞作品ですから、ノーベル賞なんか貰わなくても、、英訳版が刊行される前にプルーストは逝去していましたので、ルールで授与が出来なかった(ということにしておきます)
完訳版を真面目に読むには難渋しますし、源氏ならば連作長編みたいな部分がありますから全体の大きな流れを押さえておけば、興味ある部分だけを賞味する事は可能だが、これはなあ、、、
抄訳版が堂々と売られているにはそれだけの理由とニーズがあるのです。
これなんかはおすすめですが、、、これだけじゃ
拾い読みは出来ない。
レディムラサキの時代は、時間軸をひねくるような作法技術はまだなかったから、大体は時系列に物語は進む。しかし、このプルーストは、、、
中身にはあまりコメントしないが、巻末の付録に座布団三枚!
作者のプルーストは1871年に生まれ、1922年に亡くなりましたが、この吉川氏によれば、作品の年代はほぼ原作者の生涯にあたる半世紀余りの出来事らしいし、主人公の「私」の生まれる以前や無意識の記憶やらも時間軸を無視して語られる。
この作品と作者の年表との関連性の記述には本文以上の価値がある、、実に素晴らしい。
なんとも「反小説」的なことに、
世紀末という興味津々の時代からドレフィス事件、WW1と突っ込みどころ満載の激動の時代にも関わらず主人公の「私」は無意の傍観者としてただ観察するだけなのであり、その観察録が印象と噂話のオンパレード。これが面白いのか?と言われれば、、、面白いと心にもないことを口にするのが「教養」というものなんでしょうなあ
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