2018年8月18日土曜日

ばらの騎士



リボンの騎士は手塚治虫先生
ばらの騎士は、リヒャルト・シュトラウス(RS)

本来は楽しいはずの音楽をしかめっ面して謹聴するようになったのは、
獨逸派の台頭からである。
娯楽性と芸術性の不幸な股裂のなせる技。
これらの微妙な共存こそが芸術の生きる道なのに、クラシック音楽は
自栽の道まっしぐら。
大衆音楽と芸術音楽が救い難いまでに乖離し二度と寄り添えなくなりました。

かつてアカデミー作品賞もキネ旬ベストテンも、
大衆部門
芸術部門
に分かれていましたが、早々に愚かしさを悟りました。
しかるに音楽界だけは...


RSはワグネル風な荘重な交響詩で名声を馳せましたが、
二十世紀初頭からオペラに転向。
サロメ
エレクトラって頽廃、倒錯感満載。
その後「ばらの騎士」
圧倒的な支持の結果....でもオペラの燃え尽きる最後の蝋燭。
いささか長丁場でゲンナリしますが、
タイトルだけだとワグナーを連想、さにあらず、テイストはアマデウスの
ドロドロ劇ではない陽気な恋のさや当て風なオペラで、フィガロの結婚ににています。
大衆性と芸術性の離婚前夜の仇花です。

芸術のパトロンが宗教関係者や貴族に限られた時代から、
ブルジョアジーや一般庶民にまで広がれば、嗜好も多様化し、
芸術志向だけでは支持は得られない。
かといって大衆はバカ笑いだけでなく多少の芸術ポイントも
期待しているのです。

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