2018年8月8日水曜日

渋江抽斎ワールド





毀誉褒貶の激しい人生だったと思います。

高等官として位人心を極め
文学者としての栄誉
軍隊内の脚気対策の失態
なんといっても「キラキラネーム」の創始者(^^)

しかし、有名な遺言にあるように

余ハ石見人 森 林太郎トシテ
死セント欲ス
.......
墓ハ 森 林太郎墓ノ外一
字モホル可ラス

だとすれば、必ずしも有名とは言い難い市井人の史伝こそ
彼の文学的業績を語るに相応しいように思えます。

渋江抽斎

文藝に親しむ須賀敦子さんに、父君は読む事を強く勧めたと
松山巌氏の評伝に詳しい。
鴎外の文学的業績として、史伝の分野が粗末に扱われる事には
義憤を感じ得ないが、
高い評価するのが、サイレントマイノリティだと達観しているし、
最高傑作と持ち上げるネチズンもいる。
が、Wikiには未だ記述がない。

鷗外が、それこそ重箱の隅をつつき、箸の上げ下ろしまで
微に入り細に入り渋江抽斎ワールドを著した理由は...
原著の冒頭あたりに、抽斎の膨大な蔵書は死後散佚し、神田古書店街のあちこちに出回ったもので、
鷗外が興味を持ち、人文学者(書誌学者)にして自然科学者(医師)という
共通点に惹かれた...ということだろう。

しかし、リサーチの結果でしょうが、周辺人物は片っ端から史伝の対象に
なりました。


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