2018年8月23日木曜日

終末論(倭風ノストラダムスの大予言)





誰も口にしないのがある意味で不気味だと思いますので
不敬を省みず、あえて....
有為変遍を繰り返す「歴史」もいつかは終わりが来るという事であり、
不安な時代に流行る...つまり善男善女の不安心理につけ込む
詐欺師のペテン商法に似ている。
担ぐのは似非宗教家に限らず、社会科学者を標榜しつつも「歴史の終わり」を
説き、ベストセラーをものにしたりもする。

なんとかフクヤマ氏によれば

1989年刊行の著作のまとめを引用するに、
民主政治が政治体制の最終形態であり、安定した政治体制が構築されるため、
政治体制を破壊するほどの戦争やクーデターのような歴史的大事件はもはや生じなくなる。
そのため、この状況を「歴史の終わり」と呼ぶ。

宗教的意味合いとは色合いが異なりますが、
騙されて大部な単行本を買った読者がお気の毒。
そんなに歴史は都合よく進まない。
そもそも「最終形態」と決めつける根拠があるのか?



何にしても「終わり」とはヒトザルの心をつかむキーワードなのですよ。
しからば「百王説」もノストラダムス並みの知名度が
あっても然るべき。
仏教の末法思想に影響されたとされます。
仏教で終末論とは首を傾げたくなるが、
平安末期の浄土教から鎌倉仏教の伸展は
この思想無くしては生れようもなかった...と仏教史には書いてます。


その百王説なるものですが、つまり「天皇制は百代で亡びる」。
天皇の数は様々な数え方があり、公式には今上天皇で125代。
百代と言えば、南北朝時代統合の頃にあたりますから、
仮説としては「ハズレ」...と言い切れないのが史学の面白さ。
史実的に即位を認めるかどうか論争のある方はそこそこいます。
南北朝時代のように正潤論争もある。

一方、神武から武烈迄は存在すら疑わしいし、
中国の史書により存在したらしく見えても、天皇制の根本である
万世一系の担保がなければ、それは疑皇でしかない。
その他疑義あるとされる天皇もあまたですが、一旦は似非史学とします。
つまり武烈天皇と称される存在は25代目。
その次の継体天皇から数え直せば....と言うことが言いたい!

唐突に主上が口走ったことにも、ある種歴史的な必然が有るのかも。
根拠のない人心を惑わす妄言と言えばそれまでですが、
ヒトザルは可能なことのみを空想する...とかなんとかさらに不安を煽る


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