2019年1月15日火曜日
猿丸一族の「野望」
柿本人麻呂が歌の聖と言われれば否定はし難いが、
流讒の果てに、柿本猨と改名を余儀なくされ、正史から抹殺
その後一族は猿丸と称して...摂津の一隅で血脈を永らえた
最近御逝去された梅原さんの古代学だとそういう事
正史の文献にしか史実はないとは思わないが
余りにロマンティックだと逆に疑わしい。
歴史とはリアリズム。
阪急芦屋川駅の北にその顕彰碑があります。
猿丸家の当主は当時の村長さんで、氾濫を繰り返す芦屋川改修を
二十年余りの歳月をかけて行い、村民の暮らしの安寧に貢献したと
書かれています。
頃は天保年間
それが明治だか大正の頃に顕彰碑が出来た理由は知りません。
昭和の頃の猿丸家の御当主は英名にしてスポーツマン。
戦後は芦屋市長の職にもあったはず。
猿丸家のお屋敷は大阪城が住まいと称する上沼恵美子ごときが逆立ちをしても住めないと
言われる一隅の広大なあまりに広大な敷地。
よくは知りませんが、ある時期はコートが何面もあるテニス倶楽部が
ありました。
その後宅地分譲されたというから切り売りしたのかな?
あの場所の建築基準は日本一きびしく、
共同住宅(要するに長屋)はダメ
最低区画は200坪だか400坪
事前に聞いていれば買ってもいたかも(^.^)
ウワサが正しければ、当代は唐様で売り家と書いたようです。
財テクの才能がなかったのか、メセナや慈善事業に
財を使い果たしたのかは知りません。
千年以上も血脈が永らえるって大変なこと
今の御邸宅がどうなったかはよくわかりませんが、
駅前一等地に猿丸家の墓所があります。
墓地じゃありません!
マンション一棟分くらいの広さですが、祭祀財産ということで
非課税かな?
猿丸家はまだまだ落ちぶれてはいないらしい。
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