2019年1月13日日曜日

唐牛伝



単に字面だけからのつまらない連想ですが、中島敦さんを思い出した。

牛人
名人伝

夭折の天才作家つながりでリアル書店で手に取り
珍しくもその場であがなってしまった。

唐牛伝 敗者の戦後漂流(佐野真一)


実は今まで間違っていたが、かろうじ伝と
発音するのが正しいらしい。
作者は、毀誉褒貶の激しいオトコ
橋下徹の件で断筆を余儀なくされたが、
完成版を読んでみたいと思わせるだけの力量がある。


60年安保時代の全学連委員長
フルネームは、唐牛健太郎
既に鬼籍に入られたようです。

今時は怪しげなサークルを組織して鬼畜の所業で
お巡りさんのお世話になるのが大学生だが、あの時代は...
なんと言っても学生運動
歌って踊って革命路線なんかの党派は縄付が出ることはないが、
反日共と言われる連中は、尽く廃残流浪の民となる。
その象徴的な生きようが唐牛の人生。

清濁併せ呑むのが政治ならば、学生運動もまた..いや人生須らく
そんな生き方を強いられる。
強いられると言えば嫌々感が滲み出るが、
積極的にあるいは特段何も考えないと、それを破天荒とも無節操とも言う。

ある意味で器用な生き方。
華麗でなくとも様々に転身していった連中には
一隅の灯しをかんじますが、
いつまでも政治や運動の世界に身を置くのはなあ...
老醜ってこのような場合に使うのかな?


60年安保時代が一気に終息した頃の週刊文春(だと?)の見出し

デモは終わった
さあ、就職だ!



比較的寛容な業種のみならず、一流と当時は言われた
日本の基幹企業に席を置いた方もいました。
妹さんが歌手でロシア料理店も経営された方ですが、
副社長まで上り詰めたが、社長は叶わなかった。
生臭さや権力志向の腐臭を感じさせることはなかった。

さすがに先頭きって旗振った奴をトップに据えるのはなあ
ご当主のお立場も考えますと...

某氏の当時の呟き。
アタシは、社長になられても良かったって思ってますがね。

0 件のコメント:

コメントを投稿