2022年2月21日月曜日

雪月花ふたたび

 


美の極致なんだと言われるが、、、好みはさまざま。
一般的には、白楽天の詩歌に始まるってのは不正確
美の発見は中華の特権ではない。



たしかに素晴らしいとは思うが、初出らしいながら、ただのレトリック。

しかし「雪月花の時」って、、、少し考え込みます。


中華の「花」は、梅、、、あるいは牡丹

月は年中ありますから、雪に花なれば、牡丹はもとより桜もあり得ないが、季節を無視して形而上学的に歌論をのべればあんまり引用したくないが、



生まれた時から人生投げたような最高の貴種の藤原良経にいわれとうはないが、この場合の花はさくら

三十一文字に凝縮された美の極致であり、散文詩的に置き換えると....読むに耐えないわ

 


まだまださむいのですが、梅も咲き始め、、、この手のはなしは先どりにしかず。



戯れ唄。オトコばかりで酌婦のいない宴会だったのかな?

だからお前は良経のように摂政関白にはなれなかったのよ。無論家柄もあり斜陽の大伴一族じゃ無理。


多少写実性ある美の世界を詠うならば、、、


梅の花

にほひをうつす雪のうへに

軒もる月の 影ぞあらそふ(定家 新古今 春部)


実に素晴らしいが.....アタシがむりやり「雪月花」になぞらえただけ。

オリジナルは「袖」であり、袖ににほひがうつすのは修辞として素晴らしいが、、、

でも天才定家には悪いがアタシの改作も悪くはないと自画自賛(^^)



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