短歌人口とか俳句人口(狂歌や川柳も含めて)の規模感なんだが、ざっくりとウンジュウ万人、ウンビャク万人に及ぶらしい。
正しいのかどうかは判らないが、歌会始やサラリーマン川柳の応募数や紙新聞に未だに歌壇や俳壇のページがあるのだから、倭国の歌学の伝統未だ絶滅せず、、、だと言えます。
センスのあるテレビマンがいなくなり...センスがあれば別の世界に転身するのだが、この番組の芸人の俳句力査定はなかなか面白い(と言ってもテレビ観ないからYouTubeで)
どうも夏井いつき先生の辛辣な俳句批評で持っている感がある。彼女は愛媛で活動する俳人だが、二度目の旦那がマスコミ関係だったはず。その関係で上手く売り込んだ可能性があるが、売り込まれた方も得をした。
箸にも棒にもかからない駄句が、夏井先生の添削の結果異次元の芳醇な句界に変貌する様は、、、けだし倭語の限りない豊穣の海を思わせる。
別に素人の駄作をプロの手で佳作にするって事だけでもなく、プロだって........あれこれ試行錯誤
芭蕉のあまりに有名な一句
古池や蛙とんだる水の音(原型)
山吹や蛙とんだる水の音(其角改案)
古池や蛙とびこむ水の音(芭蕉の最終型)
蛙合わせの句会での一句らしいが、、かなり苦吟した感があります。
上の句をあれこれいじろうとしていたので弟子の其角が、蕎麦屋の湯桶(横から口を出す)
カエルは種類により季節が変わる厄介な季語なんだが山吹となれば春。陽春の感じが出て悪くはないが、芭蕉的にはお気に召さなかったようで最終型となった模様。
原型はカエルの躍動感が表れて視覚的だが、最終型は聴覚的。薄黒い何もかも吸い込むような古池の静寂の中に一瞬の水音。
たった十七文字とは言え、言葉一つて世界が変わるのですよ。
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