一番知的な環境で知的な生活をおくっていた頃にお世話になったのが、、、岩波でも中公でもなく筑摩書房でした。
教育県長野の出身者の中で知的に最良な部分が作った版元。品位のある書籍が多かった。
多少浮世離れした経営で破綻しましたが、、、でも再建した以上はウェブサイトくらいちゃんとメンテナンスして欲しいなあ。
日本詩人選
70年代に刊行
王朝古典時代を中心に詩歌の達人を当時の気鋭の評論家が選んで.....と言いたいが、十人十色。いろんな見解があるものだ
ほんの数冊しか書庫にはないが、全体でアバウト30冊くらいだったと思います
ひとり一冊の編纂って言うのは高評価の証明
人麻呂
家持
貫之
和泉式部
定家
後鳥羽院
実朝、、、、までは納得しようが
西行さんもあったに違いないが確認できない
建礼門院右京大夫(彼女より式子内親王だろう)
京極為兼
一休
宗祗
心敬
菅茶人、、、よく知りませんから論評しませんが、そんなに凄いのかなあ。
アタシならば、木下長嘯子と正徹で一冊、一休以下はまとめと一冊かな?
芭蕉
蕪村
一茶、、、これはちょっとなあ.....
芭蕉はひとり一冊でいいとしよう。
しかし倭国文藝史における俳句の位置なんてしれてますよ。
歴史もあまりないし、今でもそうだが仲間内で胸倉つかんで罵り合ったり肩を抱き合い歓笑したり....
要するに作り手と鑑賞する側の鋭角的な対立がないのよね。俳句は結社と称する家元制度になってしまいました。
俳句近代化の先駆者はなんちゃって正岡子規。その後継者の一人が高浜虚子。
彼の一族って多数がホトトギスなんかの俳諧マフィアなんだなあ、、、って言葉がすぎるかな(^^)
しかし、俳句人口の多さは無視し難い。
真っ当な文藝史の著作に占める俳句の分量は一割程度だが、この分野には能狂言歌舞伎文楽まで含みますから多すぎますし、文学史的に三人が知名度は高いとは言えそれぞれに一冊を張るほどかしら?
いくら商売とは言え、妥協していい部分とそうでないと部分がある。
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