2018年9月12日水曜日
映画の中の古典芸 改版
映画の中のオペラとかなんとか不得手種目よりも、
得手なネタにすれば...なんて有り難いアドバイス。
しかし、余計なお世話です。
そうはならないだけの理由があるのです。
そもそも、倭国の映画人は学歴は立派な方々が多いが、
能狂言をはじめとする古典芸に無知なのか無関心なのか...
学力がないと揶揄してもいいが、古典芸が日常空間から
かけ離れた存在であるという見方が正鵠を得ている。
その中で能狂言のモチーフを比較的使ったのが
黒澤明
新藤兼人
いっちゃなんですが、帝大はおろか旧制高等学校にも
縁遠い二人だけが、映画の素材として興味を示した。
理由は知りません。
幼い頃からその世界にどっぷり浸かった訳でないことは確かだが、
彼らの時代は、まだ古典が身近にあったからかも。
思うに、映画の素材として古典芸能を扱いたければ、
はるかにわかりやすく通俗的な歌舞伎や文楽に取り組めばいい。
これらの演目には能狂言の派生品が数多ある。
別に能狂言を使えば傑作が出来るわけでもない。
心中天の網島
人情紙風船
とか素晴らしい作品はたくさんある。
しかし、限定的。
普通の映画でも、ちょっとしたエピソードに
能狂言のさわりが使われたりしますが、残念ながら
見る方がそのシャレがわからない。
伊東甲子太郎が油小路で新撰組に暗殺される際に
竹生島の小謡を口ずさんでいたとか
大石内蔵助が、討ち入り前の同士との会合の際に
勝ち修羅を舞ったらしいとか...
一般大衆的には、落語の高砂....
浦ぶねならぬ助け船あたりでしかないのが、
絶滅危惧種な世界遺産の有様。
虎の尾を踏むなんとかは、明らかに安宅イメージだし、
蜘蛛巣城は、能舞台を見るような様式美
鉄輪はズバリ翻案だし、
藪の中の黒猫は....これは、太地喜和子さんの体型が、
一番淫靡だった作品。
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