2018年9月27日木曜日
ヤコブの「橋」
CATSの最後のシーンでグリザベラが天上に登っていくのはやはり「ヤコブの階段」だよねえって
無信心な蝸牛ですら気が付いています。
選ばれた民のイメージをネコに持ち込んだ・・・
創世記に登場する有名なエピソードですが、実の所非キリスト圏での知名度は低い。
エイドリアンラインの「ジェイコブスラダー」は90年頃のスリラーですが、
当時予備知識もなく観た・・・というか相当時間爆睡なもんでよく覚えていません。
今では、西洋の宗教画は言うに及ばず風俗画でも「階段」がでてくれば、メタファーに留意する程度の事はする。
しかしながら、倭のメタファーは、階段より「橋」である。
天孫民族の末裔だというのに「あの世」なるものは、天上にあるよりも平面上のかなたなのかねえ?
我々が棲む穢土の世界での、無縁の地。
無政府的なある種の聖域的空間でアジールともいう。
魔界のような場所でもあるが、無垢な子供たちの原っぱに似ている。
不吉な雰囲気が漂い、読めば祟たるかも知れない魔性の散文詩。
これでもかってくらいに古典引用を散りばめた衒学極まりないシロモノ。
折角だから再掲してみよう。
因みにタイトルは、マクベスの一節の引用
有名なフレーズらしく、レイブラッドベリーが秀逸な短編集のタイトルにも使っています。
ーーー
Something Wicked This "Bridge" Comes.
良い子は、早寝早起き
夜遊びはしない。
巷の闇は、鬼、妖怪がうごめく
邪悪なモノ・畏怖の念の存在。
光の時は、人間の世界
闇の頃は、百鬼が巣食う。
昼から夜の橋渡しの頃を・・・そう「逢魔が時」
そう魔物に出会う頃・・・ではなく「大禍(まが)時」
一番禍々しい時間帯
黄泉の国の扉の開くとき。
美しく言えば・・・そう「黄昏時」
でも「誰ぞ?彼・・」とも
薄ぼんやりとした頃に出会うのは、
愛しいあの人ではなくもしかしたら魔物かもしれない。
たれぞ彼 逢いたし人は薄暗闇 逢魔が時の 橋渡る端
京都堀川一条にある「戻橋」
大内裏の艮の方向にある洛中と洛外の境界
人が死ねば、葬列は、この橋を渡り、化野へ・・・
そう、この世とあの世の渡し橋。
橋や階段の小中は神や魔物の通り路
端に身を潜めるが世の習い
橋を渡り切る前だと、柩にとりすがり、神仏の力で、
この世に戻ってくるかもできるかも
バス停には「晴明神社前」とも・・・
そう、彼のテリトリーなのです。
武将渡辺綱は、橋の袂で、美女に出会うが、それは鬼女
奮闘むなしく、片腕を失う
橋の袂に佇むおんなは、禍々しい真知子さん。
さむしろに 衣かたしき今宵もや 我をまつらん 宇治の橋姫
一見、薄幸の美女のよう。でも、本当の「橋姫」とは・・・
妬ましいオンナを取り殺すため、貴船神社のお告げにより
姿形を変じ、鉄輪を逆さに頭に載せ、宇治川に21日間浸り・・・
生きながら鬼になったよし
つまり、橋はドラマの生まれる場所なのですよ。
能舞台では、彼岸と此岸の間に「橋掛かり」
橋のたもとには、三本松(舞台側より一の松・二の松・三の松)
亡霊や悪霊が恨みや苦しみを引っさげて、彼岸から此岸にやってくる。
法力のお陰で、晴れて成仏し、同じく橋掛かりに戻り、彼岸に帰って行く
しかし・・・拍手のタイミングを間違えると、また舞い戻ってくるとかや・・・・
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