2021年10月3日日曜日

あの橋のたもとで

 


倭国のとは少しちがいますが、西洋の魔橋伝説。

中世に始まる伝承、、、人智では考えられないテクを使ったとした思えない架橋。悪魔の所業としか思えないと....単純な話でクラシックローマの土木技術が忘れられた中世らしいはなし...その限りでは形而上学的にそこが浅い。




翻って倭国の橋伝説

能舞台が典型的だが、彼岸と此岸の橋渡し...つまりはあの世とこの世の境界線。ある意味でアジュール、治外の地だし、魔物がすむだろうし、神仏も宿る。


橋ならばどこでもって訳ではない。

それなりの歌枕になりそうな名橋でないと舞台装置としてはお粗末、、、まずもって 宇治川の橋



古今和歌集収録の名歌。たしか読み人知らずだったはず。これだけの作品だから、貫之作かもしれない。

後世如何程の本歌取りの本歌となったことか、

しかし、普通に読めば、これって馴染みの立ちん坊(街娼....今時ならばLINEで呼べるデリヘルみたいな)の歌ですよ。

江戸時代の夜鷹は、手ぬぐいで顔を隠して、茣蓙をもち、橋の袂で客を引く....

なんて講釈すれば身も蓋もないし、妻問婚の伝統的光景だということにしておきます。


本歌取り数多...と言われるが、まずもって多くは認知度は皆無に近く、唯一の絶唱はこれだけ。


さむしろや 待つ夜の秋の風ふけて 

月をかたしく 宇治の橋姫(新古今 秋部上 定家)


藤原定家が新進気鋭の前衛歌人として登場した頃の問題作。非難轟々の狂言綺語の絢爛満載表現はまだしもレトリックの奇矯さは絶句にあまりある。


さむしろは、狭い筵。二人でベッドインならばダブルだろうが、狭いシングル

当時は布団がなかったから、衣類がその代替として敷かれたり、、、敷くのは月じゃないだろうし、更けていくのは夜のとばりであり、風はふくものだ。


本歌取りとはモチーフだけを借りてきてアナザーワールドをつくりあげるものだが、これは同じ世界をパラレルにしたようなもの...けだし天才。


幸いにして後鳥羽院なる名伯楽がいたから世間に出る事が出来たが、普通ならば.....

問題の多いミカドだったとは思いますが、文藝史上の貢献度には平伏すしかない。

言ってみれば、この超絶技巧の嶺の高さの反撥から、正岡子規の写生詩歌ができたようなもの。

誤解を恐れずに言えば、富士山と箱根山のようなものですよ。


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