2018年10月16日火曜日

再度「七人の侍」雑話


エイケン一級の問題にありげなのは・・・・「侍の名前と演じた俳優を全て書きなさい」
この程度が回答できないと、プロ映画鑑賞家の名が泣くが、
だからといって偉いわけでもなく単なる雑学である。
だからすこしペダンチックにやってみよう


何故にあの七人の俳優が選ばれたのか?
主演群像とはいうものの、大方の見るところ「志村喬と三船敏郎」がダブルセンター
確かに、それまでの黒澤作品の主役は、この二人。
しからば、羅生門と白痴で光芒を放つ・・・・森雅之は?
まあ、食い詰め浪人群ですから、あの気品で無理ってことになったのだろう。
岡本勝四郎(木村功)が唯一、氏素性がよさげであるが、年弱って設定ですから、
森雅之さんではちょっと無理がある。


次なる疑問は「ナナニンノサムライ」なのか「シチニンノサムライ」か?
通常は後者のように発音されますし、「荒野の七人」も同様であるが、
国営放送での言葉使いの基本は「ナナ」だと書いてます。
旧軍もしかり、自衛隊もたぶん...
もっともこれは数字単独の発音であり、
数字の後ろに名詞等がつく場合は、その言葉の歴史的慣用的読み方に従う。
人がつけば「シチ」がオーソドックスらしい・・・・
七は、訓読みが「ナナ」、音読みが「シチ」だとされますから、
ナナニンだと湯桶読みになっちゃうから、正統的ではない。
でも、シチって、ヒチ・イチと紛らわしくてあまり感心はしない


オリジナルは207分版(海外では160分の短縮版で公開されたはずです)
やはり一番面白いのはロジスティクスの部分(七人がそろうまでと牢人群と百姓が一致団結する2ndステージ)
後半の豪雨の中での野武士との激闘シーンは、たしかに手に汗握るものがあるが、それ以上でも以下でもない。
つまり「スタイル」がないのですよね。

時代は天正十四年(16世紀末ころ)とされます。
秀吉に家康がひざを屈した年。
もはや戦国ではなく、牢人が中途採用される可能性は減り、
蜂須賀小六のように野武士一党がM&Aで大名に丸抱えしてもらえるチャンスもない。
再就職氷河期がすぐそこに来ています。
時代から置き去りにされた者たちの死に花咲かせのものがたり
その意味で、滅び行く武士達の虚無性なんかを森雅之が野武士の頭目としてせりふなしで
密やかに演じればって・・・・おもったりするのがプロ目線


最後の勘兵衛の有名なセリフがあるのですが、
異なる解釈も可能です。

勝ったのは俺たち(武士)ではなく、百姓だ。

結局七人のうち、戦死者が四名。

林田平八(千秋実) 火縄銃で戦死
片山五郎兵衛(稲葉義男) 火縄銃で戦死(多分・・)
久蔵(宮口精二) 火縄銃で戦死
菊千代(三船敏郎) 同上


もはや戦国末期とは武士の腕を振るう刀槍の時代ではない
時代の終わり....





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