2018年10月31日水曜日

膝まづいてヒール(足)をお舐め



猥褻感ただよう表現で(笑)・・・・森瑶子さんの作品だったかなって思って探したのですが、
楽曲や漫画で類似したものが散見されるだけ。

女王様と下僕の関係。
マゾヒズムを思い浮かべます。
サディズムと対句で語られますが、識者はそれに異を唱える。
健全な趣味嗜好な蝸牛庵にはよく分かりません。


ザッヘル・マゾッホは、「毛皮のビーナス」で有名ですが、
サドはともかく、読もうって気にならない。
ひざまずいて足を舐める趣味なんか毛頭ないし、理解しようとも思わない。
しかし、倭人固有なのか歴史に対する被虐或いは自虐感とは、
ある種の集団的マゾヒズムかしらって思い立ち・・・・

まずは、お手軽にウィキペディアで調べるに(一部略)


社会生活上の様々な理不尽と思える状況に直面したときに「自分が我慢すればよい」と不当な圧力や要求に耐える人が存在する。
また「囚われのお姫様」や「苦難を乗り越え進む英雄」と言ったヒロイックな状況は、苦痛・圧迫を伴いながらも陶酔感や大きな達成感が得られる。こうした自己犠牲や苦痛や逆境への親和が、実は、性的嗜好としてのマゾヒズムの基盤にある。

理不尽に他人から暴力を振るわれても「自分が悪かった。自分が我慢すればいい。」と考えるのは防衛機制であるが、マゾヒズムの心理には、このような機制が存在すると言うべきである。
また自罰的傾向のある人は、他者から与えられる身体的精神的な加虐によって、かえって心の安定が得られることがあり、ここでもマゾヒズムへの趨向が見出される。


なんだか、倭人って戦後七十年間マゾヒスティックな状況に置かれていたようです。
最近その呪縛から解放されつつあるのか?
他人から足を踏まれると「当方が不束で・・・」っていうのがゆかしい江戸しぐさ。
最近は、若者もあまつさえご老人まで切れるそうだが、
これも見ようによっては、程度問題はさておき同じような呪縛からの解放なのかも・・・・

最初は嫌悪してもそのうちに被虐に陶酔し・・・というのが団鬼六なり結城彩雨の定番パターン。
倭人にかような趣味趣向が潜在していたとしても、顕在化するにはなんらかのきっかけがあったはず。
原典主義な蝸牛庵は、記憶の大伽藍の中から

ポランスキー監督の「毛皮のビーナス」

ヒビのはいった骨董品がつくるマゾ映画なんか普通は歯牙にも掛けないのですが、
この問題解決こそが戦後の総決算!

登場人物二人だけの舞台劇の映画化。
バックステージものだし、言葉の格闘技ともなれば、最低でも佳作以上。
しかし、全く感情移入が出来なかった。
オーディションにやってきたガサツでエロな女優と
傲慢な舞台監督により演じられる毛皮のビーナス。
原作同様に力学が反転し、舞台監督は従順な下僕に、女優は驕慢な女王様に・・・

まあ、言われっぱなしで有りもしない戦争犯罪とやらの贖罪意識の囚人達は理解し、共感できるのだろう。
蝸牛庵は無理です(きっぱり!)

書庫から河出文庫版を探し出し、拾い読むにやっぱり面白くない。
しかし、この最後の一節には
感動を禁じ得ない。心から得心!

いわく・・・・

女は男の奴隷になるか暴君になるかのいずれかであって、
絶対にともに肩を並べた友人にはなりえない

冷徹な国際政治の「真髄」ですね(笑)
有りもしないことを、教科書や大マスコミや著名評論家が、
あるいか隣国がいっているからってことだけで
鵜呑みにしないことです。
自分で確かめる・・・昔と違って、残片的ですが、
情報は転がっています。










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