2018年10月27日土曜日

コーチングを「ウリ」にする・・・・



あまりに有名な韓愈先生の名文だし、教科書にも使われています。
マジョリティは「衒学」とは言わない。

もっとも、高校生レベルで正しく文意を理解できるか、できるように教育できるかは別の話。
記憶にあるのは「馬喰なるヤマシみたいな職業名称は
この伯楽を語源とするというしょうもないこと」だけです。
なもんで、ちょっと白熱授業的にやってみるか。

世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。


有名な冒頭文
大事なのは、まず「名コーチ(上司)が名選手(部下)を見出して育てる」ってこと。
潜在的に能力ある部下はどこにでもいるはずなんだが、
その目利きがいるって保証はない。
馬鹿をバカなりに一芸を見出してやるものもこれ伯楽の務め。


故に名馬有りと雖ども、祇だ奴隷人の手に辱められ、
槽櫪の間に駢死し、千里を以て称せられざるなり。


あたら才能を持ちながらも、生かし切れていない例って山とあります。
名刀夢想正宗で、大根切ってるって枚挙にいとまなしだし、
むしろそれが当り前なんですよ。
どうしてそうなのかねえ・・・絶望します。


馬の千里なる者は、一食に或いは粟一石を尽くす。
馬を食ふ者は其の能く千里なるを知りて食はざるなり。
是の馬千里の能有りて雖ども、食飽かざれば、
力足らず、才の美外に見られず。


大体において、名馬って扱いにくいのですよ。
世にいう「天才肌」と言われます。
聞くに、ダービー馬のディープインパクトの飼葉喰らいは半端ではなかったらしい。
天才肌と言えば聞こえは良いが、飲む打つ買うの性格破綻者もどきである。
型にはめようとしてはいけないし、かといって放任するとよくなるってもんじゃない。
非常に難しい要素技術だってことはわかりますねえ。


さて、その難しい「技術」をコーチングと称して
高額な受講料で教えますってこれが詐欺でなければ、
なにが詐欺なんでしょう(苦笑)
コーチの才能とプレーする能力は両立するのかどうか・・・つまり「名選手=名コーチ」は稀というかそもそもエレメントが違うからありえない。
皆無とは言わないから、神は気まぐれに二物を与えたのだ。
しかし、名コーチが名選手でなかったとしても、
コーチがコーチを教える(育成)ことができるはずだ。
しかし、四千年のヒトザルの歴史において未だに「伯楽は常には有らず」ってことは、
究極的なコーチの育成メソッドはまだ確立できていないってことです。
ところが・・・にもかかわらずってことで、この「段落」の冒頭にかえるのです。






まあ、作家と編集者の関係も似てるってことは知らないわけじゃないが、「名」と名がつく編集者はここまでやるのか。
もっとも、世界文学史上に名を成すような「名馬と伯楽」の関係だからだろう。
森村誠一の「作家とは何か」って著作によれば
編集者とは「11のタイプ」に分かれるらしい。
この映画の主人公 マックスパーキンスに該当しそうなタイプも載っていますが、
多分ですが「常には有らず」だと
確信をもって言える。
そうでないなら、文芸がここまで衰退するはずがないでしょう・・・






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