ある社会や時代を無批判的に支配する存在をイデオロギーと言う。
中世はカトリックの神こそが唯一絶対のイデオロギー。
ただそれだけを盲目的に信じていればよい時代は幸いである。
しかし、そのイデオロギーが揺らぎ出した時には何を信じればいいのでしょうか。
そこで、デカルト先生の登場
全てを疑うしかないではないか。
そうする事で始めて「疑うものでないもの」が見つかる。
それは、凡ゆるものを疑うという事・疑っている自分である。
我思う(疑う)故に(疑っている)我が存在するってそういう事なんだって。
懐疑する自我こそが神の座にある
理性的な存在が全てを支配する
近代哲学の父と言われるのは、ヒトザルの優位性を論理的に
説明したからである。
かかるが故に、ヒトザルは自然法則から自由であり、
自律...自分で自分の行動を決定する存在となった。
盲目的に服従するのであれば、奴隷と変わらない。
本能のまま行動するなら、畜生と同じだ。
かくもヒトザルが生きるという事は難儀であり
その難儀さを教えるのが道徳の授業ということになる。
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