2018年10月4日木曜日

違いは何かと問われれば・・・・


短歌と和歌の違い?
簡単そうですが案外難しい(笑)

和歌とは倭歌。
つまり、倭国の定型韻文詩のことであり、主として漢詩との対比概念である。
和歌の定型は、

長歌
短歌・狂歌
旋頭歌
俳句あるいは川柳

と形式により分類が可能だが、文科省はそういう教え方をしないから、誰しも和歌=短歌と思い込んでいる。
まあ、思い込んでいるってことも大事である。
諸外国の新聞は寡聞にして存じ上げないが、毎日ど素人が我流にひねった短歌や俳句を投稿するページを設けているなんて
世界的に奇観に属する・・・・と思うのですがどうだろうか?
読むに耐えないうたばかりだからし、そもそも新聞に眼を通さないからどうしようもないが、「和歌のページ」と称し、あらゆる定型韻文詩の欄にする方が文化的だ。
それだけ、その成果物の質はともかくも、生活に密着しているのは実に素晴らしい。
ということで、記紀歌謡から二十一代集に至る明治の明星や根岸短歌舎までの短歌を「和歌」と呼び、以降を「短歌」と
称しても、大衆的に違和感のあるものではない。
言ってみれば、正岡子規や与謝野夫妻が「和歌」の首を切り落としたのですよ。

とは言うものの、和歌なるもの、知識あるいは教養として身についているものは、万葉集と古今から新古今まで。
時代的には、八世紀から十三世紀までである。
以降の十九世紀までの数百年は和歌暗黒時代と言われ、忘れ去られた時代である。
このころの歌人として登場するのは、教科書的には俳句派ばかりで、
後はレフト系史家が持ち上げる江戸町民文化(決して担い手は町人ではない)の狂歌師くらいである。

識者も、どうせ本を書くにしても、そんな暗黒時代をテーマにしても売れるわけがなく、
我々的には益々興味や知識の範疇から遠ざかる。
確かにロクでもない(笑)
数百年の間に歴史に名を止める歌人なんて・・・これほどの不毛の風景も珍しい。

心敬
木下長嘯子 くらいでしょうねえ。

鬼才塚本邦雄の「珠玉百歌仙」を読んでいます。
ここでいうところの和歌の世界を鳥瞰するものですが、昭和の定家をもってしても時代が下るとさすがに選びよう・褒めようがない(苦笑)


まあ、文学形式って流行り廃れとか色々あるんですよ。
長く普遍的に君臨できるものって有りはしない。
誰か天才が閉塞を打破する。
その意味で、歌そのものは好きじゃありませんが、子規や晶子は天才なのです・・・・付け加えれば茂吉(これは天才に近い)






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